公園廃止の件で思ったこと‥。

—私見ということをご了承ください—

長野市の公園廃止を発表したときのニュースをたまたまリアルタイムで見ました。

ニュースを聞きながら『ちゃんと対応するいいところもあるんだなーすごいなー』と心の底から廃止を決めた市の決断をすばらしいと思いました。

でも、「苦情をよせていたのは1軒でした」‥たしかそういう文言でしめくくりました。

その瞬間「はぁ1軒だったらなんなのさっひとりでぶちギレてました。

わざわざ言う必要ないのでは?

1ヶ月くらい前の日曜日、パートから帰ってきたら、何人もの出演者がひとつの議題にご意見を言う(わたしの嫌いな)番組がかかってて、議題は公園廃止のことでした。

『なくなるって決まってんじゃないの?』と気になりましたが、みなさんのご意見を聞くと具合悪くなりそうでチャンネルかえました。

〝苦情〟って、なんかちょっとイヤな響きにわたしは聞こえます。

ただ「どうにかしてほしい」と〝相談〟することを〝苦情〟と言うのかもしれないけど。

ブログに挑戦したら〝道路族〟の親たちと学校の教師たちの理解できない言動の数々を時系列で淡々と書き連ねる予定でした(ぜんぜん書けてませんが

両親が助けて引っ越しさせて)くれて抜け出せました。

すぐそばに公園があったので、なんども「公園行けや」と追っ払おうとしてましたが、

この公園閉鎖の件は、市に相談していたご夫婦に全面的に肩入れします。

〝公園だったらどんなにうるさく遊んでもいい〟わけではない、と思います。

かなり昔、道内のどこかで、公園がすぐそばにある団地に住む男の人が、公園で遊ぶこどもを叩いた、というニュースがありました。

ニュースを読み終えた男のアナウンサーと横にいる女の人が二言三言ご自分たちの思ってることを言いましたが、わたしには〝叩いた男の人が一方的に悪い〟と言ってるようにしか聞こえませんでした。

そのころはウチのまわりで大騒ぎで遊ぶこどもたちが学校から帰ってくるのが見えるだけで、身体がガタガタ震えて心臓がバクバクして涙がボロボロ出る毎日になってたので、すぐにその番組のホームページを探して、お問い合わせフォームかなにかから〝こどもの遊ぶ声や音で苦しんでる人はいっぱいいる偏ったこと言うな〟というようなことを書いて送りました。

誰でも『こどもが遊んで多少うるさいのはしょーがない』と思ってるんじゃないでしょうか。

だんだんひどくなってきて、こどもたちに注意して、すこしはおさまることを期待して様子を見たりしたと思うのです。

ガマンもしないで、いきなり、叩いたり、学校や教育委員会や役所に電話したり‥する人は、滅多にいないとわたしは思います。

以前住んでいたアパートのまわりの道路で遊んでたこどもは、はじめは4人で、この子たちが遊んでてもすごく静かなところでした。

そのうち、こどものいる2家族が越してきて、みんな小学校に通うようになって、それぞれのともだちが来るようになって、最終的に20人近くになって、大荒れの天気じゃなければ雨が降っててもお外で遊ぶのがふつうでした。

長野の公園は、50人近くだったこともあるとか。

わたしが住んでいたところより、きっともっとずっとうるさかったことでしょう。

毎日毎日、長時間、大人数で大騒ぎするのが、視界に入って、常に聞こえてることは、耐え難い苦痛です。

ものすごいストレスとダメージ。

産後鬱や育児ノイローゼがあるなら、大勢で長時間遊ぶこどもの発する声や音に何年も苦しんで鬱やノイローゼになる人がいたっておかしくないと思う。

病院行きたいと思ったことがありましたが、「こどもなんだから外で遊ぶのあたりまえでしょ、あんた頭おかしいんじゃないの?」と何人かに何度か言われてたので、お医者さんにもおなじようなことを言われそうだと思い諦めました。

震えて涙が出るのは、こどもたちが帰ってくるところからはじまり、わらわらと集まって来てガーっと遊び出して‥だいたい20~30分でおさまるけど、とにかくしんどくて、毎日「死にたい」とottoにだけは言ってた。

いまは震えたりはすることはなくなった。

でもすぐ近くの家のこどもが路上でともだち何人かといるのを見ると、胸のあたりが気持ち悪くなって、いなくなるまで続く。

耐えられなくなったことに対する拒絶反応だと思う。

記憶喪失にでもならない限り、きっと死ぬまでかわらないと思います。

「常識の範囲内で」は、〝常識〟は、人によってちがうのでモノサシにしてはいけないと思うのです。

『たのしそうだね~』と笑って見ていられるくらい‥が、わたしの常識の範囲内でした。

わたしは〝こどもが悪い〟とは思ってないし、言ってない‥つもりです。

親や学校の教師が「まわりに迷惑をかけてはいけない」ことをわかってなくて、こどもに教えられない。

いくら「うるさすぎるのは迷惑だ」と言っても、「こどもなんだから」と返してよこす。

こどもだからなに?

だからわたしは〝まわりにいる大人たちが悪い〟と思う。

そんな大人しかいないから、常識の範囲内の許容範囲をこどもたちがわからないのは当然のこと。

きっと将来おなじような大人になるのだろう。

外で遊ぶことでなにか言われるから〝こどもがかわいそう〟ではなく、

〝他人に迷惑をかけないように、と大人にちゃんと教えてもらえないこどもがかわいそう〟だ。

自分の家の中でも学校内でも、騒いだときに「うるさいよ」とまわりの大人は注意しないのか。

きっとするでしょう。

しなきゃおかしい。

〝賑やか〟と〝騒ぐ〟は違う。

どっちもうるさくても、騒ぐ、は迷惑。

人によってモノサシは違っても、だいたいの感覚はおなじじゃないだろうか。

家の外、は、まったく関係のない〝他人〟に迷惑がかかる場所。

自分がうるさいと思えば注意する。

他人が「うるさいのは迷惑だ」と言っても自分に関係ないと「こどもなんだから」になるのかな。

親は、外で騒ぐ自分のこどもに注意しなければいけない立場の人間だと思う。

こどもの声は、なにか精神を壊す秘めたパワーでもあるのでしょうか。

周波数がどーのこーのって書いてるのをチラッと読んだけど。

はじめて、震えて心臓苦しくなったとき『は?たかがガキどものせいでこーなるか?』と、じぶんで不思議でたまらなかった。

さすがにおかしいだろうと、ネットで調べてみたら、おなじような状態になってる人を何人か見つけて『なんもおかしくないんだー』とちょっと安心した。

わたしだけじゃなかった。

ほかにもおなじことが原因でおなじようになってる人がいたから、こどもの声にはなにかパワーがあるのかも。

ノリノリになって遊ぶこどもたちが、声や物音を制御できなくてもしかたがないと思う。

それこそ、こどもだから。

パート帰り、ウチまで650mの地点(⇠あとで確認した)を歩いてたら、ギャーギャー大騒ぎしてる声が聞こえて『あぁここらへんにもいるんだ』と思った。

でも、どこにもこどもなんかいなくて『あーこれきっとウチのとこで遊んでるやつらの声なんだろーなー』と思ってたら、ほんとにそうで、玄関入って「こいつらどんだけうるせーのよ」と、可笑しすぎてひとりで叫んでしゃがみこんでしばらく泣いたことがあった。

わたしの感覚では『あの場所まで聞こえるのはあり得ない』だった。

でも聞こえてた。

条件によっては、あり得ない場所まで聞こえると。

その日以来、パートが早く終わっても、ottoの会社の駐車場で冬でもエンジンかけないで2時間だろうが3時間だろうがottoの仕事が終わるまで車の中で待つようになって、ウチに帰れなくなりました。とさ。

パートが休みの日が辛かった。

〝こどもがかわいそう〟〝そんなにうるさいなら二重窓にすればいい〟〝静かなところに引っ越してください〟とか、書いてるのを見た。

こういうことを書く人々は、

自分の家のすぐそばで、200人のこどもが毎日5時間遊ぶのがこの先何十年も続くことになったとしても、

『こどもが遊ぶのは全然うるさいと思いません』

と言うのだろうか。

実際どれだけうるさいかわからなくても『自分がおなじような状況になったとしたらどうだろうか』‥と想像くらいしてもいいのでは?

わかりもしないで「こどもがかわいそう」と発言する人たちの言葉は、こどもたちが遊ぶことで苦しんでる人を無神経に傷つけるだけの武器や凶器。

何日か前の公園の記事をさっき見た。

利用を再開した、とか、再開して苦情はなにもない、とか書いてた。

さいしょの英断を貫いてほしかった。

〝なにごとも度を超えたら迷惑になる〟というだけのことだったのでは。

こうなったいま、廃止になってもならなくても、相談してたご夫婦のきもちが休まることはないかもしれない。

理不尽に矢面に立たされてしまったご夫婦が穏やかなきもちで毎日を過ごせるようにならなければ、この件は解決しないのではないだろうか。

誰だって穏やかなきもちで毎日過ごしたいと思ってるはず。

あのご夫婦が穏やかなきもちで毎日を過ごせるようになってほしい。

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